ホーム>教育深夜便 第10回 「生涯学習」からの贈りもの

教育深夜便 川野邉 敏

-Profile-

川野邉 敏(かわのべ さとし)

昭和5年埼玉県生まれ。昭和28年東京外国語大学ロシア語科卒後、文部省入省。 昭和48年から国立教育研究所で国際関係・生涯学習関係の研究に従事。平成7年より常葉学園大学教育学部教授、平成16年より星槎大学教授。この間、東京大学学部および大学院、慶応大学・広島大学・筑波大学大学院等で非常勤講師。専門は比較教育・生涯学習。主な著書に『ソビエト教育の構造』(新読書社)、『ロシアの教育―過去と未来』(新読書社)、『子どものしつけ』(三一書房)、『現代に生きる教育思想』(ぎょうせい)、『世界の幼児教育』(日本らいぶらり)、『新任教師への手紙』(ぎょうせい)、『生涯学習論』(福村出版)、『教師論』(福村出版)など多数。

 
 

第10回

「生涯学習」からの贈りもの

「生涯学習」は、20世紀後半から国際的にも国内的にも教育の大問題でした。1965年のユネスコの国際会議で、P・ラングラン報告書を中心に、これからの急速な時代変化の中で、「生涯教育」の必要性が叫ばれました。その後、教育の役割についての再評価が行われ(本稿第9回参照)、最終的には、「21世紀は生涯学習の扉を開く鍵である」(『学習―秘められた宝』21世紀教育国際委員会=1996年)という結論に達しました。我が国でも、当初は「生涯教育」の用語が用いられていましたが、臨時教育審議会(1984~87年)以降は用語も「生涯学習」に統一され、21世紀教育の基本方針として「生涯学習体系への移行」が政策課題になったのです。これを契機として、行政制度の改革や教育内容・方法の改定などが行われてきたのは、皆さんご承知のことと思います。

 

ところが、21世紀に入ると、不思議なことに「生涯学習」とういう用語自体を耳にすることが少なくなりました。若い人々の間では、「生涯学習とは高齢者の教育のことでしょう」などと思っている人さえいる有様です。もし思い違いをされている方がおられたら、「生涯学習」の背景や意義について、改めてお考え頂ければ幸いです。「生涯学習」の必要性が叫ばれていたころ、私自身もいくつか参考資料を書かせて頂いたことを思い起します(『生涯学習論』福村出版、『生涯学習の課題』ぎょうせい)。現在の学習指導要領で「基礎的・基本的な知識・技能の習得」、さらには「思考力・判断力・表現力の育成」、「学習意欲の向上」などの目標を掲げているのは、「生涯学習」の理念に裏付けられたものです。

 

さて、現在の学習指導要領も、当然「生涯学習」の理念の下での学校教育を前提にしたものですが、視点を変えてみますと、生涯学習は「人間の生きる喜び」あるいは「人間の心の安らぎ」など、人間本来の生き方そのものであると考えられないでしょうか。人間はその生存の不思議さに悩まされてきたはずです。「なぜ自分は、この父母から生まれ、この環境の中で生存しているのか」などと考えると、眠れなくなるといった経験をお持ちの方も多いでしょう。そこで、『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子・幻冬舎)という言葉に納得させられるのです。

 

私もこの説に賛同しながらも、人間の生き方を「生涯学習」と結びつけて、三点にまとめて考えることにしています。一つは「絶対的個としての創造の喜び」というものです。人間は本質的にいろいろな欲求(生理的・安全・所属と愛・承認の欲求)を持っており、最終的には「自己実現の欲求」を備えていると言われています(H・マズロー)。つまり、すべての欲求の最終段階が「自己実現」であり、私が考えている「創造の喜び」に相当するといえます。二つは、「社会的存在としての他に役立つ喜び」であると思っています。人は誰でも、自分が役に立っていると認識したとき、喜びあるいは満足を得るものです。『人間を見つめて』(神谷美恵子・みすず書房)という本の中に、ハンセン氏病の患者である「連ち ゃん」が、看護師に「あそこの棟に、寝たきりのおじいさんがいるので、このシビンを持って行ってください」と頼まれ、苦労しながらその仕事をやり終えた時、彼の顔には「何とも言えない満足の表情があらわれた」という一行がありました。病気や障害を持つ人間であっても、「他に役立つこと」は喜びなのです。そして、最後に「自然的存在としての出会いの喜び」を挙げておきたいと思います。「与えられた喜び」ともいえます。自然の中での散策、あるいは歴史的遺産や芸術作品などに出合った喜びや感動などです。

 

以上は、私の個人的な思いで、紙面の都合でご理解しにくかったと思いますが、皆さんもご自分なりに「生涯学習」と「生きる喜び」を関連付け、日々の指導に心がけて頂ければと願っています。